大判例

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名古屋地方裁判所 昭和50年(行ク)9号 決定

申請人

岡田渾一

申請人

森上道康

申請人

大原兼義

右申請人ら代理人

小栗孝夫

被申請人

愛知県知事

右指定代理人

樋口哲夫

外一〇名

被申請人

愛知県収用委員会

右代表者会長

矢野勝久

右指定代理人

樋口哲夫

外六名

被申請人ら補助参加人

名古屋市

右代表者交通局長

谷重幸

右訴訟代理人

鈴木匡

外一名

主文

本件各執行停止申請をいずれも却下する。

申請費用はいずれも申請人らの負担とする。

理由

第一申請の趣旨および理由

(申請の趣旨)

一、被申請人愛知県知事が昭和四八年一一月一二日愛知県告示第一〇四二号によりなした別紙目録記載の事業認定処分の効力は、本案判決が確定するまでこれを停止する。

二、被申請人愛知県収用委員会が、起業者名古屋市、土地所有者申請人岡田渾一ほか間の四九愛収第三号の高速度鉄道第三号線建設工事(伏見・八事間)に係る士地収用裁決申請事件について、昭和五〇年三月二六日になした裁決にもとづく執行は、本案判決があるまでこれを停止する。

(申請の理由)

一、事業認定

被申請人愛知県知事は昭和四八年一一月一二日愛知県告示第一〇四二号をもつて、土地収用法二〇条の規定にもとづき別紙目録記載の事業(いわゆる名古屋市地下鉄三号線建設事業)の事業認定処分をした。

二、事業認定と申請人らとの関係

申請人岡田渾一は右目録記載の起業地の使用部分たる名古屋市昭和区山中町二丁目地内の土地につき所有権を有するものであり、同森上道康は同じく川名山町一丁目地内の土地につき、また同大原兼義は同じく花見通二丁目地内の土地につきそれぞれ借地権を有するものである。

三、収用裁決

被申請人愛知県収用委員会は昭和五〇年三月二六日、申請人らが所有権あるいは借地権を有する前記起業地の使用部分たる土地につき収用の裁決をなした。申請人岡田渾一については、その所有する名古屋市昭和区山中町二丁目三八番一、三八番二、三四番一、三四番三の各土地の一部につき権利取得裁決を、右土地に所在する井戸につき明渡裁決を受けたものである。

四、各処分の違法性

前記事業認定処分は、その事業計画が土地の利用上適正かつ合理的なものではないので、土地収用法二条、二〇条三号に違反する違法がある。そして、右事業認定処分の違法は当然に裁決の違法を来たすものと解すべきである。

五、本案訴訟の係属

申請人らは昭和四九年一月一四日右事業認定処分取消の訴訟を提起し、又申請人岡田渾一は昭和五〇年四月二八日右収用裁決取消の訴訟を提起し、いずれも名古屋地方裁判所において現在審理中である。

六、堀削工事の開始

起業者たる名古屋市は右収用裁決にともない、昭和五〇年四月一四日地下鉄三号線山中・中間のずい道堀削工事に着手することを決定し、同月一五日よりシールド工法による堀削工事を開始している。

七、申請人らの損害

右堀削工事およびその前提としてなされる井戸の埋立工事が施工されれば、土地の現状が大きく変更されることとなり申請人らに回復し難い損害を生ずることが明らかであるからこれを避けるため緊急の必要があるので、本件各執行停止を求める。

第二当裁判所の判断

一申請人らの本件各執行停止を求める究極の目的は、とりあえず本件ずい道堀削工事を差止めることにあると思われるところ、本件事業認定、収用裁決等一連の行政処分を前提としてなされる公権的事実行為である本件工事の差止めるために本件各処分の停止を求めることができるか問題が多いが、この点についての判断はしばらく措き、当裁判所は一応右が可能であるとして以下判断する。

二本件記録および本案事件記録によれば、申請の理由一ないし三、五、六項の各事実が認められるほか、次の事実を一応認めることができる。

1  起業者名古屋市の事業の全体計画の概要によれば、本件高速度鉄道三号線(いわゆる地下鉄三号線)は、昭和六〇年には八四万人に達すると予想される名古屋市への流入人口による名古屋都市圏の交通需要に対処するため計画された名古屋高速度鉄道網建設計画の一環として建設するもので、周辺住宅地と都心部を直結する動脈として小田井を起点として伏見・上前津の都心部から八事を経て日進町赤池に至る延長20.1キロメートルを昭和五一年度完成を目途として総事業費一、〇〇〇億円余をかけて建設しようとする事業であること。

2  本件事業計画は右三号線のうち、第一期工事として伏見―八事間八キロメートルを全線地下式、複線にて建設しようとするもの(以下、本件地下鉄と略称する)で、起点伏見を始め西大須、上前津、鶴舞、荒畑、御器所、山中、杁中および終点八事の九駅を設置し、開通時一日平均二三万人(伏見・日進町赤池間)を輸送しようとするものであること。

3  申請人らの所有地および借地は、本件地下鉄のうち山中・杁中間に存し、収用裁決のあつた申請人らの権利は、申請人岡田渾一については名古屋市昭和区山中町二丁目三八番一(90.42平方メートル)、三八番二(100.20平方メートル)、三四番一(250.12平方メートル)、三四番三(0.46平方メートル)の各土地の一部(地下)と同所にある井戸の明渡しであり、申請人森上道康については同区川名山町一丁目九番一(92.06平方メートル)の土地の借地権の一部(地下)と同所にある井戸の明渡しであり、申請人大原兼義については同区花見通二丁目一四番五(100.96平方メートル)の土地の借地権の一部(地下)であること。

4  右申請人らの居住地は、丘陵地帯にあり、近くには断崖部分や防空壕跡も存する土地であるが、静閑な住宅地域であり、第二種住居専用地域(建築物の高さ制限二〇メートル)に指定されているところであること。

5  申請人岡田、同森上の家には井戸があり、本件収用(明渡)の目的とされているのであるが、同所には都市上水道が来ており、右井戸は主に冷房機用と散水に使用しているにすぎないものであること。

6  起業者たる名古屋市においては、本件地下鉄のずい道堀さく工事を既に大部分進めており、昭和五〇年四月一五日ごろから、いよいよ申請人らの居住する右山中・杁中間の工事に着手し、シールド工法によつてずい道堀削工事を進めているものであること。

以上の事実を一応認めることができる。

三ところで、行政処分の執行停止が許されるためには、積極的要件として「処分の執行等により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要のある」場合でなければならず、又消極的要件の一つとして「執行停止が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある」場合には執行停止は許されないものである(行政事件訴訟法二五条二項、三項)。そして右にいう回復困難な損害とは、原状回復または金銭賠償が不能な場合ばかりでなく、たとえ終局的には金銭賠償が可能であつても、社会通念上そのことだけでは填補されないと認められるような著しい損害を蒙ることが予想される場合も含まれると解すべきである。

四さて、申請人らは、本件の地下鉄山中・杁中間のずい道堀削工事が施工されれば、井戸の埋立は勿論のこと土地の現状は大きく変更されて、将来原状に復帰することも路線の変更も事実上不可能となるから、申請人らに回復し難い損害を与えることが明らかであり、これを避けるため緊急の必要があると主張する。そして、申請人らの主張する損害とは、所有地等の地下を地下鉄が通ることによつて、その地上に将来高層の建物が建てられない等一定の建築制限の不利益を受けること、地下鉄の運行による震動被害を将来受けること、建設工事中の騒音、振動の害を受けること、井戸水の使用が不可能になること、近くの崖崩れの危険があること等を損害として挙げていると解される。

五しかしながら、人口の密集した近代都市においては、その交通政策として大量、安全、迅速な旅客輸送力を有する地下鉄道を設置運営することは合理性を有するものと解せられるところ、その都市部において地下鉄を設置するためには、何人かの民有地の地下を使用しなければならないことはほとんど不可避的であるといわなければならない。そして、申請人らの所有地等の地下を地下鉄が通ることによつて当然受ける土地形質変更は原状回復が極めて困難であるということができるが、因つて生ずる損害は土地利用の制限、騒音震動被害等の損害と同じくすべて、民有地の地下等を収用して地下鉄を設置することにより常に当然発生することが予想される損害であるといえるのであつて、しかも一般的には、社会通念上金銭的な補償をもつて満足すべき事柄であるといつてさしつかえない。従つてかかる損害があるからといつて直ちに「回復困難な損害」があるとはいえず、かつ、後記のとおり極めて公益性の高い本件地下鉄工事並びにその開通に伴い申請人らの受ける前記各被害等は未だ全疎明を以つてしてもその受忍すべき限度を越え申請人らの生活に直接重大な苦痛、影響を与える程度のものであるとは認められない。なお、申請人岡田および同森上は井戸を有しており、右井戸は本件地下鉄工事のために埋立てられるものであることが認められるけれども、前記認定のとおり同申請人らの家には都市上水道が来ており、右井戸水は冷房機用等に使用しているにすぎないものであるから、井戸の利用の点では同申請人らの蒙る損害はさして大きくなく、これ又金銭的補償をもつてたるものといわなければならない。また、崖崩れ等の危険については起業者名古屋市において施行する補強工事等によりその危険発生は予防しうることが可能であると思われるので、申請人らのいう危険があるとはいえない。

結局、本件地下鉄工事とその開通によつて申請人らが蒙る損害については、これをもつて本件事業認定ないし収用裁決の効力を停止すべき「回復困難な損害」があるとはいえないものである。

六さらにまた、本件において右ずい道堀削工事の施行を停止するときは、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある」場合に該当すると認められる。即ち、本件地下鉄の設置が多数の通勤、通学者らの交通需要に対処しようとするものであつて、それが多大の公益性を有することは多言を要しないところである。申請人ら三名のみの申請による執行停止のために、本件地下鉄工事が停滞し、本件計画事業の完成が遅延する結果となるときは、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるものと認められる。

七よつて、申請人らの本件各執行停止申請は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものであるから、いずれも失当としてこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり決定する。

(山田義光 窪田季夫 小熊桂)

目録

1 起業者の名称

名古屋市

2 事業の種類

高速度鉄道3号線建設工事(伏見・八事間)

3 起業地

(1) 収用の部分

名古屋市中区錦二丁目地内ほか二一ケ所

(2) 使用の部分

名古屋市中区錦二丁目地内ほか二六ケ所

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